経営企画室 広報 野際です。
先日、香港や中国、日本と あちこち忙しく演奏会や講義などをされている方とお話しする機会がありました。その方のご友人から、あの人が話す言語は北京語が中心で、次に広東語、あとは日本語と英語がカタコトですよと2~3ヶ月前にお聞きしていたのですが、日本語がカタコトどころではなく、話してくださるほとんどは理解できてしまう程上達されていて驚きました。話の流れで昔、香港に行った折に覚えていた単語があり、北京語の「没問題」は広東語で「無問題」ですよね、と言うととても驚いた様子で、大変喜んでいただき、その後色んな会話に発展することが出来ました。結局その4ヶ国語の単語が入り混じっての会話もありましたが、その場所にホワイトボードがあったのでそれを使い、気が付くと主題にすべき内容があった筈でしたが、北京語ではこう書くが日本語では、などと中国語教室と日本語教室のようになってしまいました。しかしそれはやはり相手側の国の言葉を使う、というきっかけがあったからこそであったように思います。
そこで以前中国語講座の講師の方がおっしゃっていた言葉を思い出しました。海外の方が日本語を使った時、たとえそれが間違っていても決してあきれたり馬鹿にするようなことはなく、むしろ勉強されているのだな、と感心するように、私たちが外国語を使ったところで恥ずかしいことなどないのだ、と。もちろん今回は単語だけでしたが、今後もっと言葉を増やし、文節をつなげられるくらいになって行くと、またずっと違ったコミュニケーションとなることと実感する貴重な時間でした。
ただ少し心配なのは、これからこういった機会が増えるのでこのままだと北京語と広東語、混ざって覚えてしまいそうなところぐらいでしょうか。